働くって…。
派遣の人から突然怒られ、最近入ったばかりのフォークリフトのおじさんにクレームを言われ…。
今日もハードな1日だったなと思う。
働くのが当たり前みたいな世の中だけど、みんな余裕なく頑張っている中でも、謎のクレームを入れられたりする訳で。
本当に皆、よくやっているよと感心する。
大阪府の知事も、コロナ対応であれだけ頑張っていても殺害予告が届いたりするみたいだし、本当に全てのことを気にして仕事をしてたら、やってられないなと思う。
そんな中で、「ふみさんも山を登ったりされてるんですね。」と、100点満点の世間話をしてきてくれる新人の女の人もいて、ジワ〜ッとこころに染み入るものがあったりして。
歳をとりすぎてしまったことを後悔した…じゃなくて、本当にありがたい話だなと思って、精神的に救われたりもしました。笑
話が逸れてしまったけど、これらのことをふまえて社交不安の人には、「良くも悪くもいろんな人がいるから、その悪い部分に目を向けて、囚われすぎないでほしい。」なって思います。
自分も過去には、一部の人から否定的なことを言われ続けて、完全に自信を喪失してしまったことがあったのだけど。
よくよく考えてみたら、大半の人には普通に接してもらえていたし、みんながみんな嫌な目で自分を見ている訳ではなかったし。
怒っている人がいたり、なぜか自分を嫌ってくる人がいたら、その問題点はどちらにあるのか、はっきり見極めよう。
完全に相手が悪いようなら、気にする必要なし。
とにかく自分の存在を守ろう。
おそらく、社交不安になる人はいろんな問題を抱えこみやすい(人から好き勝手なことを言われやすい)人が多いと思うので、そんなことを言わせないような強い姿勢も時には必要かもしれない。
とにかく、必要以上に苦しんだりしないで、自分の存在を大事にしてほしいなって思います。
情報処理システム
自分の脳(こころ)の働きを、情報処理システムと捉える考え方があるそうです。
確か、認知心理学の分野だったと思います。
自分の場合は、いきなり強い不安に襲われることが多かったのですが、それも脳が自分の身を守るためにアンテナを張り巡らせている状態であるがゆえの出来事であるように感じています。
(説明が下手で申し訳ない…。)
少し神経が過敏になっている状態だとも言える気がしますね。
その危険を察知するアンテナを、元の穏やかな状態に戻すには、どうしたらいいのでしょう?
やはり薬で不安を抑えながら、人と関わっていき、「そこまで不安にならなくていいのかもしれない…。」と感じていくのも、1つの手段だと思いますし。
カウンセリングで、過去のトラウマ的な体験と向き合い、こころの傷と取り組むのも1つの手かと思います。
以前、自助グループの話し合いで、「自然のあるところに行って散歩するのがいい。」と、多くの方が言っていたので、これも過敏になっている神経を穏やかにする意味では有効かもしれないです。
自分の個人的な考えとしては、人と接していく中で、安心感を感じていき、それを積み重ねることが重要なんじゃないかな?と思っています。
こころって目には見えない形のないものですし。
人それぞれ、求めているものも違うと思うのでね。
絶対にこれが大事!なんて、決めつけることはしませんが、そのぶん自由に「自分のこころは何を求めているんだろう?」って、ふと立ち止まって考えてみるのもいいのではないかと思います。
ドキュメント72時間。
最近、はまっています。
みんな頑張って生きていることが実感できる、この番組。
「いろんな人を知ることができる」という点において、社交不安の改善にも効果がある気がしています。
あとは、地元の低い山を登ることにもはまっているのですが、木の葉が風に揺れる音や鳥の鳴き声に癒されるのはもちろんそうですし。
足場が不安定なので、そこを踏み締めて歩くことにも意味がある気がしています。
下半身の強化により、安定感は増すでしょうし。
そんなとても小さな出来事からも、社交不安の改善を図っています。笑
あとは、「こころの声」というのも、意外に大事な気がしています。
今日は、苦手な店員さんのいるガソリンスタンドで洗車をしているときに、「なんで、こんな微妙な気持ちになってまで、同じスタンドを使っているんだろ?自分。」というイメージが降って湧いてきて、これから新しいガソリンスタンドを使っていくことを心に決めました。
使い慣れてる場所のほうが楽なんだけど、なんかもう少し気分良く洗車がしたいなって思って。
社交不安なので、新しいスタンドやお店を使うのにも、少し勇気が要るんですよね。
レジ待ち苦手人間なので…笑
でも、そういうイメージが湧いてきたっていうことは、少し自分のこころが殻を破ろうとしてるのかなと思うので、行動してみるつもりです。
そんな些細なことの積み重ねからも、社交不安の改善は望めると思います。
休むときはしっかり休んで、それこそ殻に閉じこもるような時期があってもいいと思いますし。
少し1歩踏み出してみたくなったら、その気持ちと共に行動してみる。
そんな感じで、時間をかけて自分を大事にしながら、進んでいきたいと考えています。
自助グループ。
コロナが猛威をふるう前までは、社交不安とHSPの自助グループに、よく参加していました。
当事者同士で話し合う集まりですね。
皆さん、それぞれに抱えているものの大きさが違っていて、本当に何気ないことがきっかけで社交不安になってしまったという方もいれば、虐待が影響していると主張してる方もみえましたね。
なかなか、こころの深いところまではカバーしきれないと思いますが、参加することでかなり勇気が貰えたりします。
自分は、レジ待ち(レジでお金を払うのも含めて)が苦手で、同じ悩みを持つ人が同時に2人も見つかった時には、すごく救われたような気分になりましたし。
実際に、カウンセラーの資格を取得してる人もいて、その行動力の高さに影響を受けたりもしました。
いろんな方の話を聞いているだけで、安心感も得られました。
そういう理由からも、お勧めはできます。
ただ、やはり現実に取り組んでいく時にはいつも一人になりますよね。
職場などでは、周りからのサポートが得られるかも重要になってくる。
その中で、できるだけありのままの自分を出して、受け入れてもらう。
自分が、相手を受け入れる必要も出てくると思います。
その辺りのバランスがうまく取れるようになった時に、社交不安はかなり改善されているのではないか?と、自分は予想しています。
今は単なる理想論でしかないですが、方向性が見えていることも大事だと思うので、自分はそうなれる時まで時間をかけて、目の前のこと(仕事や会話)に取り組んでいきたいと考えています。
何と繋がる?
会社にいても、緊張をしたり、手が震えそうになったりする。
そういう時に、自分は何を信じたらいいんだろう?って、よく考える。
人を信じるのにも限界があるし、そんなに大差がないくらい、自分のこともあまりよく分からなかったりして…。
やれやれと思う。
たぶん、自分らしくいけばいいだけなんだろうけど、それが繋がる先がない。
つまりは、あまり信用できる人が周りにいないのかもしれない。
どうなったら、社交不安の症状が消えるんだろうね?
自分のこころは、一体何を求めているんだろう?
人と安心してコミュニケーションが取れる関係性かもしれない。
安心できるやりとり。
ちょっと、そこら辺を意識して、毎日を過ごしてみようかな。
雑談してみる。
こうやって振り返ると、いろんなことがあったなぁーと思う。
身近な友達にも、それこそ良くも悪くも様々なことが起きて、その度に励ましあったり、祝福したりした気がする。
(あまり人を祝福できるほどの器は持ってないのだけどね…)
中学時代に、自分を否定する言葉を受け入れて、少しずつ病んでいったのとは逆の要領で、今は毎日少しずつ自分を押し広げていくようなイメージで過ごしたいと考えている。
低山登りや散歩を、コツコツ続けて。
心理学の勉強もコツコツ続けて。
ヨガ(月礼拝)と、自重トレもコツコツとやる。
オンライン飲み会は有効だということが最近わかったので、ネット環境を良くしたら自分から友達を誘っていきたいと考えている。
あと、日々思うことは、まだ自分の人生を自分らしく生きることができてないなっていうことかな。
ただ、それは人との関係性によってもグッと幅広くなるものだと思うから、諦めたくないというか、未来に希望を持ちたいところだと考えている。
あれ?
書くことが無くなったな…笑
とりあえず寝て、しばらく温めてみることにしよう。
自分自身と、このブログ。
友達がほしい。
そう考えて、初対面の人とまともに会話もできない状態で、18歳の時に関西で一人暮らしを始めた。
結果としては、関西特有の人懐っこさに影響を受けて、人見知りはかなり改善した。
社交不安は、両隣に人がいる状態で勉強をさせる学校のスタイル(ゼロ距離が辛すぎた…)が合わず悪化してしまったため、地元に戻り、小学校時代によく遊んでいた友達とひたすら遊び続けた。
24時間営業のゲームセンターと、いつまでいても怒られない友達の家が溜まり場のような形になり、そこで人間関係を学べたのが救いになった。
喧嘩もしたし、悩みもお互いに話すようになり、3〜4年も経つともはや友達というより家族(兄弟)のような関係になっていた。
それが今でも、自分の土台となっている気がする。
社交不安なのに、友達はいるという変な自信だけはある。
しかも、3〜5分に1回くらいのペースで、体がビクついていた頃だったので、そんな自分をよく受け入れてくれたなと感心する。
(社交不安の身体症状の酷さに関しても、自信があったりする…)
友達を作るコツとしては、「悩みを相談する」ということになると思う。
最初は、割と軽めの悩みから。
そうすると、悩みを相談された大半の人は、「えっ?どうしたらいいんだろう?」と、なんだかんだで親身になって考え、応えてくれる。
そこに、お互いに人間理解のようなものが生まれてくると思うのだ。
「悩みがあっていい。弱さがあってもいい。」というような感覚かな?
うまく説明できないけど、ちょっとした悩みを相談して、それに応えてもらえたら、それだけで人から優しさを受けとることもできるし、お互いの人間性の理解にも繋がると思うから。
気が向いたら、試してみてほしいと思います。